つかさ’s blog

時の流れに身をまかせ、人生は死ぬまでの暇潰しだと思っている今日この頃です。

音楽界の転換期: 日本レコード大賞の歴史とジンクス

以前、日本レコード大賞は、NHK紅白歌合戦同様大変関心を持って観る番組でした。

今はというと残念ながら全く関心がありません。昨年はAdoさんが出演したところだけ視聴しましたが、ここ数年観ることはなくなりました。

この番組は、歌手や楽曲に対して賞を授与するもので、この年にヒットした又は話題になった歌手又は楽曲をある程度体感として想像しながら観るわけです。

しかしながら、想像とは違った大賞受賞が数多くある中、エッと私を驚かせた年3選を上げたいと思います。

大賞を受賞した曲→私が大賞を想像した曲で紹介します。(敬称略)

1973年(大賞)五木ひろし「夜空」→沢田研二「危険なふたり」

危険なふたりが歌謡大賞を受賞していたにもかかわらず、10月発売の夜空であった。この年の紅白で五木ひろしはふるさとを歌っている。1977年勝手にしやがれまで不毛なジュリーの賞レースが始まった。

1978年(大賞)ピンクレディー「UFO」→山口百恵「プレイバック Part2」

日本レコード大賞の受賞条件はキャリアと実力とされている。この年の紅白で山口百恵はトリを取っている。また、この年ピンクレディーは紅白を辞退したことで人気に陰りを見せた。日本レコード大賞には大賞を取った歌手は引退しないというジンクスがある時期まであった。山口百恵が取っていれば引退しなかったのにとずっと思っていた。

1983年(大賞)細川たかし矢切の渡し」→松田聖子ガラスの林檎

前年の北酒場に続き2年連続での大賞受賞。そこまで矢切の渡しヒットした?聖子さんに譲ってよ。本人もその気だったのに。聖子さんガラスの林檎をコンサートで歌わなくなったじゃないですか。ガラスの林檎は、あなたに逢いたくてに次ぐ松田聖子のヒット曲である。